学校にはどうして夏休みがあるの?

公開:2026-08-04 更新:2026-08-04 読了 約7分

図解

1 明治7年 大暑につき7月24日から28日までの5日間 2 明治8・9年 7月20日から26日までの7日間 3 明治10・11年 7月23日から8月1日までの10日間 4 明治14〜19年 8月1日から21日までの21日間 5 明治30年代 麻布地区本村小学校で夏休み日記帳が使われる 6 明治41年 夏季休暇小学生日誌が発行される

図解:問いを6ステップで読みとく流れ(自動生成)

明治七年に大暑を理由とする五日間の休みが始まりだから。

夏になると、学校が長いお休みに入ります。あたりまえのようですが、日本の学校に夏休みができたのは、そんなに昔のことではありません。

国立国会図書館こくりつこっかいとしょかんのレファレンス協同きょうどうデータベースによると、夏休みがはじまったのは明治めいじ七年です。「大暑たいしょにつき」、つまり暑いからという理由りゆうで、五日間の休みが決められました。

きっかけをつくったのは、外国から来た先生たちでした。当時、外国人が先生をしていた中学や大学などでは、その国の習かんにしたがって夏休みがありました。

その習かんが、新しくできた小学校にも伝わったのです。

休みの長さは、少しずつのびていきました。明治七年は五日間、明治八年と九年は七日間、明治十年と十一年は十日間、明治十四年から十九年には二十一日間になりました。

そして昭和しょうわ十二年には、四十日間の夏休みになりました。今の長さに近づいたのは、このころです。

じつは、夏休みの長さは日本ぜんぶで同じとはかぎりません。学校を運営うんえいする市や町が、それぞれ決めているからです。

百年ひゃくねん以上かけて、五日から四十日へ。夏休みは、少しずつ育てられてきた時間じかんなのですね。

夏休みは昔からあった制度ではない。国立国会図書館のレファレンス協同データベースが示す起点は明治七年。大暑を理由に、わずか五日の休業が定められたのが最初である。しかも発想の源は日本の外にあった。当時、外国人教師を迎えていた上級の学校では、その母国の慣行に沿って夏の休みが設けられていた。これが開化期の小学校へ波及したというのが同データベースの説明だ。暑さという口実と、西洋由来の慣行。二つが重なって制度が生まれたわけである。日数の伸び方も一直線ではない。五日から七日へ、さらに十日、二十一日と刻まれ、四十日に届いたのは昭和十二年。半世紀以上をかけた漸増だった。ちなみに今日の夏休みは、学校教育法施行令にもとづき各学校の設置者が決める。全国一律の長さを法律が定めているわけではないので、住む場所が変われば休みの日づけも変わる。

仕組みの科学

夏休みは、慣習としてなんとなく続いているものではなく、制度として位置づけられている。文部科学省の学習指導要領に関するQ&Aでは、学校教育法施行令第29条において、学校の設置者が定めることになっていると説明されている。つまり、夏休みがいつからいつまでかを決めているのは国ではなく、公立学校であればその学校を設置している自治体の側である。全国の子どもが同じ日に休みへ入るように見えても、根拠は一本の全国ルールではなく、設置者ごとの判断の集合体なのだ。ここで押さえておきたいのは、休業日が夏だけの話ではないという点である。同じQ&Aは、夏季、冬季、学年末、農繁期等における休業日という言い方をしている。農繁期という語が並んでいることからも分かるように、学校の休みは季節の暑さだけでなく、地域の暮らしの都合とも結びついてきた。もうひとつの軸が授業時数である。学校には年間で確保すべき授業時数があり、休業日の設定はその確保と表裏の関係にある。同Q&Aは、夏季、冬季、学年末等の休業日の期間に授業日を設定する場合について触れており、長期休業期間中に各教科等の時間をまとめて確保することができるとも述べている。ただし何をまとめてもよいわけではなく、夏休み等にまとめて実施することは適切とは言えない、とされる活動もある。休みの長さは、暑さと時数と地域事情の三つが釣り合う点として決まっている。

歴史と発見

国立国会図書館のレファレンス協同データベースは、夏休みの起点を明治七年に置いている。定められたのは、大暑につき五日間の休業だった。注目したいのは、その発想が国内から自然に生まれたものではないと説明されている点である。当時、外国人を講師とした中学・外国語学校・大学などでは、講師の習慣に随って夏休みが置かれていた。この習慣が文明開化の小学校にも伝わった、というのが同データベースの示す経緯である。日数は段階的に増えていった。明治七年は七月二十四日から二十八日までの五日間、明治八年と九年は七月二十日から二十六日までの七日間、明治十年と十一年は七月二十三日から八月一日までの十日間、明治十四年から十九年は八月一日から二十一日までの二十一日間。そして昭和十二年に四十日間となった。半世紀以上をかけて、五日が四十日へと育っていったことになる。過ごし方の記録も残っている。同データベースの別の事例によれば、明治三十七年の日記記録は、睡眠、食事入浴等、草刈りその他の農作業使い等、学習、水泳魚取り等の遊びに分類されていた。明治四十二年には各教科の復習や家事の手伝いといった取組が見られる。明治四十一年には夏季休暇小学生日誌が発行され、明治三十年代には麻布地区本村小学校で夏休み日記帳が使われていた。宿題としての日記帳は、かなり早い時期から夏の風景だったわけである。

もう一歩先

休業日を設置者が定めるという仕組みは、地域差を生む装置でもある。同じ国のなかで夏休みの長さや時期がそろわないのは、制度がそろえていないからにほかならない。寒冷地で夏が短く冬の休みが長いといった配分の違いも、この枠組みの上では例外ではなく想定内である。休業日を夏、冬、学年末、農繁期等として並べる書き方自体が、地域の事情に応じて配分を変える余地を前提にしている。近年の論点は、休みの長さそのものよりも、その期間に学校で何が起きているかに移りつつある。文部科学省は令和元年六月二十八日付で、学校における働き方改革の推進に向けた夏季等の長期休業期間における学校の業務の適正化等について、という通知を出している。長期休業期間は子どもの休みであると同時に、教職員の働き方を考える単位でもある。授業時数との関係も見逃せない。長期休業期間中に各教科等の時間をまとめて確保することができるという扱いは、休みの期間が授業日に転じうることを意味する。実際、夏季、冬季、学年末等の休業日の期間に授業日を設定する場合が想定されている。一方で、夏休み等にまとめて実施することは適切とは言えないとされる活動もあり、まとめられるものとまとめられないものの線引きが問われている。明治七年の五日間から数えて百五十年あまり。夏休みは、暑さをしのぐための空白から、教育課程と労働環境が交差する時間へと役割を変えてきた。

🌱 ためしてみよう!3択クイズ

本文をよんでこたえてみよう。タップでせいかいがでるよ。

Q1. 日本の学校に夏休みができたのはいつ?
こたえ:明治七年
国立国会図書館のレファレンス協同データベースによると、明治七年に「大暑につき」五日間の休みが定められたのが始まりとされています。今のような長い夏休みではありませんでした。
Q2. 夏休みのきっかけをつくったのはだれ?
こたえ:外国から来た先生たち
当時、外国人が先生をしていた中学や大学などでは、その国の習かんにしたがって夏休みが置かれていました。その習かんが、新しくできた小学校にも伝わったと説明されています。
Q3. 四十日間の夏休みになったのはいつ?
こたえ:昭和十二年
五日間から始まった夏休みは、七日間、十日間、二十一日間と少しずつのびていきました。四十日間になったのは昭和十二年で、今の長さに近づいたのはこのころです。

👤 大人のちょっとした雑学

夏休みは輸入品だった

外国人講師を置いた中学・外国語学校・大学の習慣が、文明開化の小学校へ伝わったとされる。暑さは理由づけであって、発想そのものは海の向こうから来た。

五日間から四十日間まで六十三年

明治七年の五日間が四十日間になったのは昭和十二年。七日、十日、二十一日と刻みながら伸びた。今の長さは最初から与えられたものではない。

全国一律ではない

学校教育法施行令第29条により、休業日を定めるのは学校の設置者。夏季・冬季・学年末に並んで農繁期が挙がるあたりに、地域の暮らしとの結びつきが残る。

🔬 とことん深掘り:読書ガイド

読み順ガイド(やさしい→専門)

  1. 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「学校の夏休み、冬休みはいつから始まったか」(ウェブ資料)
    年ごとの日数と典拠文献が一覧できる。事実関係の骨格を先に固めておくと、後続の議論で混乱しない。
  2. 『明治の小学校』-学制から小学校令までの地方教育(大森久治著、泰流社)
    同データベースが典拠に挙げる一冊。地方の学校運営の実態から、休業日がどう扱われたかを追える。
  3. 『近代日本の学校文化誌』(石附実編著、思文閣出版)
    制度としてではなく文化としての学校を扱う視点。休みが子どもの生活に何をもたらしたかを考える段階に適する。
  4. 教育行政学・学校経営の大学教科書(教育課程と授業時数の章)
    休業日と授業時数の法制度上の関係を体系的に扱う。現行の運用を原理から捉え直せる。

さらに進む方向

  • 設置者ごとの休業日設定を都道府県別に集計し、気候要因と地域行事のどちらが強く効くかを検討する
  • 学制期の欧米の学年暦と日本の休業日の対応関係を、講師の出身国ごとに比較する
  • 長期休業期間中の授業日設定が授業時数の確保にどれだけ寄与しているかを統計から確認する

もっと詳しく:歴史と時系列

  1. 明治7年
    大暑につき7月24日から28日までの5日間
  2. 明治8・9年
    7月20日から26日までの7日間
  3. 明治10・11年
    7月23日から8月1日までの10日間
  4. 明治14〜19年
    8月1日から21日までの21日間
  5. 明治30年代
    麻布地区本村小学校で夏休み日記帳が使われる
  6. 明治41年
    夏季休暇小学生日誌が発行される
  7. 昭和12年
    40日間となる
  8. 令和元年6月28日
    文科省が長期休業期間の業務適正化について通知

ことばのメモ

大暑
一年でとくに暑いとされるころ
休業日
学校で授業を行わない日
長期休業期間
夏休みなど長い休みの期間
設置者
学校をつくって運営する側
授業時数
一年に行う授業の時間数

よくある質問

日本の夏休みはいつ始まったの?
国立国会図書館のレファレンス協同データベースによれば、明治七年に大暑につき五日間の休業が定められたのが始まりとされています。
どうして外国の習慣が関係しているの?
当時、外国人を講師とした中学・外国語学校・大学などでは講師の習慣に随って夏休みが置かれ、それが文明開化の小学校にも伝わったと説明されています。
四十日間になったのはいつ?
昭和十二年です。明治七年の五日間から、七日間、十日間、二十一日間と段階的に延びました。今の長さに近づいたのは、このころからということになります。
夏休みの長さは全国で同じなの?
同じとは限りません。学校教育法施行令第29条において、学校の設置者が定めることになっているため、地域によって時期や長さが異なります。
長期休業中に授業をしてもいいの?
夏季、冬季、学年末等の休業日の期間に授業日を設定する場合が想定されています。ただし夏休み等にまとめて実施することが適切でないとされる活動もあります。

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出典・参考文献

  1. 国立国会図書館 レファレンス協同データベース学校の夏休み、冬休みはいつから始まったか知りたい。 参照 2026-08-04
  2. 国立国会図書館 レファレンス協同データベース明治時代の子どもたちが夏休みに何をして過ごしていたのか知りたい。 参照 2026-08-04
  3. 文部科学省学習指導要領「生きる力」Q&A(授業時数・休業日) 参照 2026-08-04
  4. 文部科学省学校における働き方改革の推進に向けた夏季等の長期休業期間における学校の業務の適正化等について(通知) 参照 2026-08-04

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